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KIROMERU’s Web MOVIE&DRAMA@CINEMAD

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マトリックス・リローデッド

(2003年5月26日の日記より)

『マトリックス・リローデッド』特撮以外の考察

先週土曜夜、『マトリックス リローデッド』の先々行上映を観てきた。
今更言うまでもないとは思うけど、既成のジャンルを超えた映像で衝撃を与え、世界中で4億6千万ドルという破格の興行成績を記録しワーナー・ブラザース最大ヒットとなった『マトリックス』。その続編で脚本・監督は前作と同じラリー&アンディ・ウォシャウスキー。

まずは『マトリックス』の世界観について。
身体に埋め込まれたソケットでの情報伝達。それを操るAI(人工知能)。「ザイオン」という言葉。発達したAIが自分を認識し、神のような存在として現れるというストーリー・・・これらはウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984年・サイバーパンクSFの原点と言われる小説)からの影響である。
また前作の『マトリックス』におけるネオへのメッセージ「白いウサギについてゆけ」。赤い薬・青い薬の選択・・・などはまさにルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』。

『ニューロマンサー』を思わせる設定に、『不思議の国のアリス』をちりばめた世界観の基底をなす「共同幻影」という哲学。
「我思う、ゆえに我あり」デカルトの言葉は、社会システムへの懐疑、五感の懐疑を解決する原点は「自分の意識が存在することを意識する」こと。
現在の社会システムは「ヒト」という生物の本能、DNAに書き込まれたものではない。つまりはルールによって形づくられた「システムとしての幻」にすぎない。
社会システムはユートピアでも理想でもなく、「ある力」によってコントロールされた幻想。
「ある力」とは神なのか?
「グノーシス派」の神話と同じように、人間は悪魔的な存在のつくり上げた虚偽の世界に暮し、「現実」から遠ざけられている。悪魔がこの世界を牛耳っているのである。
もしかすると「ある力」はコンピューターなのかもしれない・・・それが『マトリックス』である。
アクション映画として認識されるこの映画に流れる血は、今の社会(とくにアメリカなのか?)を憂い、それを破壊してしまうテロリストの血である。

しかし『マトリックス リローデッド』においては「破壊のための力」だけではシステムを根本から破壊することができないという方向性を見せる。それが「愛」なのだと・・・。
(こう書いてしまうとちょっと恥ずかしいけど、やっぱりそうなのだ)
『フィフスエレメント』において人類を救う「5番目の要素」が愛であったように。
1997年に制作された『フィフスエレメント』には世紀末思想が根強く感じられたが、『マトリックス』の設定が1999年というのは偶然ではなく「リローデッド」という言葉とリンクした世紀末的な思想が込められている。(この部分は後半に解説)
「愛」に話を戻そう。
『マトリックス リローデッド』ではネオとトリニティとの愛が描かれる。ちょっとチープに感じられるかもしれない愛が。
人類を救う鍵を持つ男「キー・メイカー」の情報を持つ『マレーナ』の妖艶女優モニカ・ベルッチ。その情報と引き換えに彼女が要求するのは、「トリニティの目の前でのキス」。救世主としてのネオと、トリニティにとってひとりの男としてのネオ。その崇高な理想論と欲望の葛藤は、女性には(男性にもね)チープに写る部分があるだろう。最も男としてはベルリッチにキスを求められたら、キスしちゃうよね。
ここで大事なことはベルリッチが「リアル」な人間でないということです。だからこそ「愛」を感じたいと思う彼女。(このあたりの表現が映画的にうまくいってない・・・)

愛を守る「力」。『マトリックス』ではカンフーこそ力。
宗教的な要素の部分は前にも書いたが、「我思う、ゆえに我あり」というデカルト思想は、仏教の真髄である「色即是空」「空即是色」という「自己解体と、その再構築」に通じ、その仏教的な力の最高峰が少林寺である。少林寺は「No think,feel」と説いたブルース・リーへとつながるのである・・・。
とかなんとか書いても、ウォシャウスキー監督は単に「カンフーかっこいい!」って理由で取り入れたにすぎないかもしれないが。(基本はそうでしょう)

ブルース・リーが好きで、日本アニメが好きというラリー&アンディ・ウォシャウスキー監督は言わば「オタク」。その2人が作った映画『マトリックス』。
『マトリックス』における「愛」は「中学男子生徒が考える理想愛」であり、カンフーを描く部分は「中学生男子的強さの象徴」と感じてしまうのだ。
この映画を観て「『マトリックス』は男の子映画である」という意識を一層強く持った。

『マトリックス リローデッド』の疑問。
預言者(オラクル)はザイオンに居ない。ネオたちが彼女に会うにためは、危険を冒してまでもマトリックスに行かなければならない。なぜ彼女は、預言者として全ての事を知っているのか?そもそも彼女は人間なのか?その理由、彼女の正体が明らかになる。
彼女は AI(人工知能)の一部。つまりエージェント・スミスと同様マトリックスの一部だったのである。
太陽電池をエネルギーにしている知識を持ってしまったコンピューター。それを機能停止にするために、人類は空を雲で覆う。そこで太陽電池を失ったコンピューターが生み出した「人間電池」。ポッドに入った人間を統括する「マトリックス」というシステム。それはシステムとして「完璧」であると機能しない(効率よく発電しない)。そのために「1%のバグ」と「人間に選択の余地を残す」ことによって効率を高めている。その「1%のバグ」が預言者たちであり、ネオたちザイオンの人々を「必ず」生み出すプログラムなのだ。
コンピューターのプログラムである預言者は、前作『マトリックス』で訪ねてきたネオに焼いたクッキーを勧める。これは僕らが使っているコンピューターの「クッキー」(個々のユーザーを識別するデータ)を意味していたわけだ。今回のキャンディーはどういう意味だったのだろう?誰か教えてほしい。

「マトリックス」は「機能性」を高めるためのバグにより、100年を単位としてシステムを「リロード」してきた事実が明らかになる。(この部分が世紀末思想と指摘した部分)繰り返される予言と反乱、救世主の出現・・・
「6かい目かよ!」(さまーず三村風に)
しかし今回(6回目のリロード)は違う。ウィルス駆除プログラムであるはずのエージェント・スミスが自ら増殖を始めたことはコンピューターにとっては「誤算」であるはず(その伏線は前作のモーフィアス尋問シーンのスミスの台詞にもある)。しかも預言者ネオの「力」は現実世界であるザイオンにおいても発揮される兆候を見せた。
ある意味これは「マトリックス」システムをつかさどる更なる「マトリックス」が存在することなのか?すべてが疑わしくなってきた・・・
またエージェント・スミスが「書き込み」し、ザイオンに送り込まれた人間の存在の謎も解かれていない。スミスの「お前の能力が上書きされた」とは、ネオの能力の「救世主」たる部分も上書きされたことになっているのかもしれない。
これらの謎は『マトリックス レボリューションズ』を待つしかないようである。この「レボリューションズ」と革命が複数形になっている部分も謎だ。(エージェント・スミスがキーマンになるのは間違いないだろう)




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